ユニクロのスーピマコットンTシャツは、日本で1,990円です。同じ品番のまま、バンコクでは490バーツ、ジャカルタでは199,000ルピアで売られています。円に直すと、バンコクでは日本より2割ほど高く、ジャカルタでは1割ほど安くなります。どちらの国でも、売っているのはファーストリテイリングと三菱商事の合弁会社です。この会社は、同じシャツをバンコクでは日本より上に、ジャカルタでは日本より下に置くと決めました。品番が同じなので、その判断は誰でもネットで確認できます。
KINTOのトラベルタンブラーは、日本で3,520円、バンコクで1,280バーツです。円に直すと、日本の1.7倍ほどになります。この価格を決めたのはKINTOではなく、タイの代理店です。シンガポールでは、別の代理店が別の価格を付けています。どちらの国でも、KINTOがいつ進出したのかを答えられる人はいません。
どちらも、日本で丁寧にデザインされた商品です。違うのは、売られる国で位置づけをもう一度デザインしたかどうかです。ユニクロのTシャツは、位置づけがデザインし直されました。KINTOのタンブラーは、まだです。
位置づけは、売られる国でもう一度デザインする
商品のデザインは、一度で済みます。しかし位置づけは、国境を越えるたびにデザインし直す必要があります。誰もデザインしなければ、位置づけは成り行きで決まってしまいます。
ここでいう位置づけとは、ある都市の売り場で、その商品がまわりの商品と比べてどこに立つかです。具体的には、何と比べられるか、どの価格帯に置かれてどう呼ばれるか、どこで売られるか、その価格がどれだけ保たれるか、ということです。これを決められるのは、商品が販売された現地の企画者です。
リサーチで見えたこと
私は1ヶ月かけて、日本のブランドがタイ、インドネシア、ベトナム、シンガポールでどう売られているかをリサーチしました。失敗例を探すつもりでしたが、1つも見つかりませんでした。代わりに、失敗とは呼べない形の問題が見つかりました。
まず、価格差の大きさは関係がありませんでした。8番らーめんは北陸のチェーンですが、タイで大人気のラーメン店です。タイの8番らーめんは日本より安く、タイのロイズは日本の3倍近い価格ですが、どちらも位置づけを保っています。
問題は、ブランドがどうやって現地に入ったかでした。日本で大衆向けのブランドは、どれも合弁会社やフランチャイズ、自社の子会社といった運営者と一緒に入っています。現地の運営者は、いつ店をオープンするか、何店展開するか、なぜその価格なのかという問いに対して、答えられます。一方、日本でプレミアムなブランドの多くは、代理店や輸入業者を通じて入っています。そこには、そういった戦略的な問いに答えられる人がいません。例外は星のやバリで、ブランド自身が運営し、価格も自分で決めています。
私はこの違いを、ブランドがそこに「存在する」か、ただ「置かれている」かの違いだと考えています。大衆向けのブランドは、大衆向けのブランドには、現地で位置づけを決める担い手がいます。プレミアムなブランドの多くは、置かれているだけです。
皮肉なことに、商品のデザインにいちばん力を注いだブランドほど、現地の位置づけのデザインはされていません。
二度目のデザインをしたのは、タイの会社でした
バンコクで日本のブランドがプレミアムな位置づけを保っている例を見ると、それをつくったのはタイの会社でした。
大戸屋は、日本では大衆的な定食屋です。タイで大戸屋を運営するCentral Restaurants Groupは、OOTOYA TOKUSENという上位の店をつくりました。新しい名前を付け、CentralWorldに旗艦店を開きました。日本の大衆ブランドを、タイの会社がプレミアムに組み立て直したのです。
モーモーパラダイスをタイで運営するNoble Restaurantは、標準の食べ放題の上に、Goldという価格帯を自分たちでつくりました。Goldの価格は5年間変わっていません。バンコクのタイスキ店が値下げ競争を始めたときも、Nobleはその競争には加わらないと公に述べています。価格帯をつくることも、それを動かさないと決めることも、デザインです。
8番らーめんは、逆の道を選びました。タイの合弁会社は日本より安い価格で売り、特別な日の食事でも、行列のできるプレミアムな店でもないと、自ら言い切っています。そうして30年以上、店を増やし続けてきました。プレミアムにしないと決めることも、位置づけのデザインです。
TOKUSENもGoldも、日本の本社がつくったものではありません。タイの運営者は、価格帯をデザインする力を持っています。
プレミアムなブランドは、土台を持たずに着く
定食・食べ放題のコースや、毎日着るTシャツは説明がなくても理解されやすいです。そういった商品を提供する大衆向けのブランドは、商品が理解されているという「土台」を持って現地に着地しました。現地で行う「二度目のデザイン」は、すでに理解されている土台の上に、価格帯を1つ足す仕事でした。
しかし、プレミアムなブランドには、そういった土台がありません。比べる下の段がないまま、いきなり売り場に並びます。バンコクの売り場で、KINTOのタンブラーは、日常使いの安価なタンブラーと、もっと高価なタンブラーの間に置かれています。KINTOのタンブラーはいちばん安いものの2倍の価格設定ですが、その価格の理由が伝わっていないまま、市場に置かれています。
同じ問題は、ほかの国でも形を変えて現れています。シンガポールのBALMUDAには、ブランド公式店も価格帯もなく、小売店ごとに価格が違います。ベトナムの象印は、正規品の型番が日本に存在しないため、日本の価格と比べることすらできません。
深澤直人は、デザイナーの仕事を輪郭という言葉で説明しています。形を求めているのは環境で、デザイナーは商品とまわりとの境目をなぞる、という考え方です。環境が変われば、商品が同じでも輪郭は変わります。私は、二度目のデザインとは新しい環境でこの線をなぞり直すことだと考えています。プレミアムな商品の場合、変えるのは商品ではありません。その下とまわりに何を置くかです。
ミニマルなデザインは、文脈がなければ伝わらないのかもしれない
原研哉は、無印良品のあり方を「これでいい」という言葉で説明しています。十分さを基準にした考え方で、欲しいものを選ぶ「これがいい」と対になります。十分さは、欲しいと思わせるものがまわりにあって、初めて伝わります。
ここから、私は1つの仮説を立てました。東京では、簡素さや静かさ、主張のなさが品質として伝わります。まわりの売り場に欲しいと思わせる商品が並び、それと比べて十分だと分かるからです。ところが、高級さを別の手がかりで示す現地の売り場では、静かで簡潔なデザインが、冷たく、安く、あるいは未完成に見えることがあります。あえて抑えたデザインには見えず、何かが足りないように見えてしまいます。
反証もあります
いちばん強い反証は、シンガポールのBALMUDAです。ブランド公式店も価格帯もなく、それでもトースターは、日本の2倍以上の価格のまま、3年ほど売られ続けています。2028年にもこの価格で売られていれば、「二度目のデザイン」がなくてもプレミアムは保てることになります。
タイの無印良品は、逆の方向からの反証です。現地に運営者がいて、東南アジアで最大の旗艦店もあります。それでも何年も値下げを続け、日本と同じ価格を目指しています。二度目のデザインは、ブランドを上に押し上げるためだけのものではありません。どちらに向かうにせよ、現地で方向を決めている人がいます。
ロイズは、販売代理店にも二度目のデザインができることを示しています。総代理店が高級食料品店で売り、値上げをしながら、15年にわたって位置づけを保っています。分かれ目は、代理店か運営会社かではなく、現地の誰かが位置づけを決めているかどうかです。
二度目のデザインが決まる場所
一度目のデザインは日本で終わっていて、その多くはとてもよくできています。二度目のデザインは、商品が売られる国で、現地の誰かが行います。誰も行わないこともあります。バンコクでは、タイの会社がそれをうまくやってきました。ただし対象は、日本で大衆向けだったブランドに限られています。
失敗を探すつもりで始めたリサーチでした。見つかったのは失敗ではなく、まだ誰も手を付けていない仕事です。


