柳宗悦は、生涯をかけて論じたのは、日本で最も美しいものは無名の職人の手から出てきた、ということでした。1925年、陶芸家の濱田庄司と河井寛次郎とともに「民藝」という語をつくり、1936年に日本民藝館を開きます。館に集めたのは、作者がわからず、安く、日々使うために数多くつくられたものでした。その形は、何世代もの手が余分を落としてきた結果です。
柳の主張のなかで最も踏み込んでいるのは、意図についてです。職人は美を狙いません。狙わずにつくられた仕事に、美はあとから現れます。ひたむきに行を重ねた先に信仰が生まれるのと同じことだと、柳は書いています。つくり手の我が引けば、素材と用途が形を決めていきます。
これが機械を通しても失われないことを、柳宗理が示しました。柳宗理は日本を代表するインダストリアルデザイナーになります。1954年のButterfly StoolはMoMAの永久収蔵品となり、ステンレスのボウルや漉し器は、いまも台所に置ける最良の道具のひとつです。手仕事から工業生産へ移っても、中心は動きませんでした。用の美、素材への正直さ、設計者が前に出ないこと。
この思想は深澤直人まで続いています。2012年から同じ民藝館の館長を務め、民藝を、一生憧れてもたどり着けない領域だと言っています。彼がWithout Thoughtと呼ぶ手法は、柳の考えを設計の手順に移したものです。形を発明しない。人の振る舞いがすでに描いている形を、見つける。1999年のMUJIの壁掛けCDプレーヤーが、その代表例です。換気扇の紐を引く動作を、そのまま持ってきている。ファンが回って空気が流れ出すことと、CDが回って音楽が流れ出すこと。この2つが同じ形をしていると気づけば、説明書は要りません。頭で考える前に、手が動いています。
この考え方の土台には、ひとりの心理学者がいます。深澤は佐々木正人の本を通してJames J. Gibsonに出会い、その発見をこうまとめています。人は環境に動かされ、環境が物の見方を左右する。Gibsonの言うアフォーダンスとは、環境が差し出す行為の可能性で、人はそれを解釈を挟まずに直接受け取っています。
重要なのは、アフォーダンスが物そのものの性質ではないことです。それは物と身体と状況のあいだに成立します。ナイフが手に馴染むかどうかは、ナイフだけを見ても決まりません。だとすれば、意識に上がらないことも、物の側の性質ではありません。同じ道具が、慣れた人の手では消え、初めての人の手では前に出てきます。消える道具をつくるとは、物を静かにすることではなく、誰がどんな状況で使うのかを先に読むことです。深澤はこれを、環境とものの関係に輪郭線を引く仕事だと書いています。輪郭が正しく引けていれば、使う人はその道具に気づきません。道具を操作していると意識した時点で、その設計は失敗しています。
この思想はデザインの基準です。しかも、厳しい基準です。道具は、使われているあいだに意識から消えたときに成功する。私の身のまわりのものは、ほとんどこれを満たしません。とくに画面です。画面そのものが悪いのではありません。画面は、何を出すかが決まっていない面です。決まっていない以上、出したい側が出したいようにしています。通知、おすすめ、更新の知らせ。どれも、見られた回数で評価される仕組み(impression)の上に乗っています。使う人の注意は、奪ってはならないものですが、アプリのデザインでは成果として数えられている。だから画面のついた道具は、放っておけば注意を取りにくる側へ育ちます。仕事をしている人の手も目も、素材に向いています。「こちらを見ろ」と言う道具は、その作業サポートするはずの道具が、仕事そのものを止めています。
この問題をいちばん真剣に考えてきたのは、私の知る限り、MITの石井裕が率いるTangible Media Groupです。1997年のTangible Bitsは、人と情報の接し方を3つの層に分けます。手で直接さわる面。つかんで動かせる物。そして、意識の周縁に届く光や音や動き。問題になるのは3つ目です。1998年のambientROOMは、その周縁を実際の部屋としてつくりました。情報は、水面を通した光が天井に落とす波の影として、小さな風車の回転速度として、水中を昇る泡の間隔として届きます。それを読むのではありません。天気を肌で感じるのと同じように受け取ります。
ただし、自然に感じられることと、自然であることは別です。周縁もまた、設計されています。そして石井さんが重視していたのは、情報を周縁に置きっぱなしにすることではありません。背景から前景へ、前景から背景へ、負担なく行き来できることです。近づけば詳しく読め、離れれば元の作業に戻れる。周縁に置くだけなら、情報を弱くしただけになります。
デジタルプロダクトのデザイナーがフィジカルプロダクトのデザインから学べるのは、この点です。情報は、注意を求めるものではなく、部屋に差す光のような存在にもなれます。柳さんの基準を満たすデジタルの道具は、その時間のほとんどを石井さんの第3層で過ごすでしょう。言うべきことは周縁で言い、目を向けられたときには応え、見ることを一度も強制していない。
民藝の歴史そのものが、思想を見せかけることの危うさを教えています。1960年代から70年代にかけて運動が流行すると、陶芸家たちは収集家向けに民藝風の器をつくり始めました。作者がわからないように見せてつくられたものが、有名作家の名前をつけて高値で売られた。流行が、掲げていた原理そのものを壊してしまいました。
思想の見た目だけを借りたものにも、同じことが起きます。静かな色、慎ましい素材。そうしておきながら、ほかの機械と同じように注意を求めてくる。消えることは様式ではありません。ふるまいであり、数分使えばで見抜かれます。
柳の署名のない器と、石井の波と風車の部屋のあいだには1世紀があります。それでもこの思想の基準は動いていません。道具が去り、仕事が残る。私が最も信頼している道具は、注意られるように働きかけようとしたことが一度もありません。ただ、使う人と仕事のあいだから、黙って身を引いていました。そしてそれこそが、ものに求められることのなかで、いちばん難しいことです。


